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【風俗ニュース】行き場がなくなった常連プレイヤーの受け皿を作りたい──信念と縁を支えに、ワンオペゲーセンを開店させた男に聞く「今ゲームセンターをやる理由」 風俗体験談口コミまとめ│みんなの風俗体験男

突撃!風俗業界・アダルトニュースまとめ

2019/04/04 12:25
行き場がなくなった常連プレイヤーの受け皿を作りたい──信念と縁を支えに、ワンオペゲーセンを開店させた男に聞く「今ゲームセンターをやる理由」

2018年も100店以上が閉店になったが、なかでも7月22日に閉店した神奈川県の「マットマウス鹿島田 新川崎店」や、8月31日に閉店した東京都の「ゲームインみとや 鶯谷店」などは、ネットの一部で話題になったので覚えている方も多いのではないだろうか。

 昨年2018年は「高田馬場ゲーセンミカド」が池袋にも新店をオープンさせるという明るい話題があったとはいえ、このようなケースはまれだ。

 警視庁生活安全局保安課が発表しているデータを見ても、ビデオゲームがない店を含むゲームセンターの営業店舗数は、毎年右肩下がりになっていることがわかる。

 このように強い逆風が吹きすさぶなか、2019年2月に個人でゲームセンターをオープンさせた強者がいるのをご存知だろうか。

 それが、東京都立川市にある「ゲームセンターWILL」の店長・渋谷幸喜氏だ。

 2018年3月にクラウドファンディングで開店資金を募り、翌4月には見事目標金額を達成。
 その後、さまざまな困難を乗り越えて、約1年がかりで店舗オープンにこぎつけた。

 いったい、彼はなぜわざわざ個人でゲームセンターを開店させることにしたのだろうか?
 電ファミニコゲーマー編集部は、渋谷さんにインタビューを申し込み、開店までの経緯や苦労、ゲームセンターに対する思いなどについて話をうかがった。

■ワンオペで切り盛りするゲーセンは、行き場を失った常連ゲーマーが帰ってくる場所

──クラウドファンディングで資金を集めて立ち上げた「ゲームセンターWILL」がオープンしてから1ヵ月が経過しました。どんな1ヵ月でしたか?

渋谷氏:
 あっという間の1ヵ月でしたね。ゲームの基板や設備も含めて、いろいろと物が足りていない、という課題が見えてきました。店内に手作りの喫煙ルームを作るなどの工夫をしていますが、まだまだ不足しているものがあります。
 とはいえ、やっぱり「昔勤めていたゲームセンターの常連さんや、友だちが遊びに来てくれる」ことがうれしいです。

──1日あたり、何名くらいのお客さんが来店されますか?

渋谷氏:
 今は来客数が落ち着いてきていて、平日は平均で20人ほど、週末はイベントをやると40人くらいいらっしゃいます。

──では、売り上げのほうは……?

渋谷氏:
 今は開店したばかりでお客さんの入りがいいのですが、今後少し落ち着いてもやっていける売り上げにはなりそうです。
 とはいえ、クラウドファンディングで集めたお金も、結局、資金としては充分ではなくて……。オープン準備をしているときにアルバイトを始めたんですよ。それは今も続けているんですけれど。

──ということは、夜中までゲームセンターで店長をやって、朝から開店までバイトをしていると? た、たいへんでは???

渋谷氏:
 ええ。でも、朝は隣りにあるゲームセンター「WGC」の店長さんに、ウチの開店をしていただいて、私の出勤時間を遅めにしているんです。
 その代わり、夜は「WGC」の店長さんに少し早めに帰っていただいて、「WGC」の閉店作業は私がやる、と。

──「WILL」は毎日営業、店員さんは渋谷さんしかいない。となると、渋谷さんの休暇はゼロ、と?

渋谷氏:
 オープンしてから今までは、休みなしです。
 そのうち営業が落ち着いてきたら、毎月2日ぐらいはお休みをいただくのもありかな、とは思っていますが。

──このご時世、個人でゲームセンターを開店させること自体、ハードルが高いでしょう。目的は、ビジネスではないところにあるのでしょうか。

渋谷氏:
 そうですね。このゲームセンターを開いた大きな目的のひとつは、以前勤めていた「オスロー5号店」の閉店によって、行き場がなくなった常連ゲーマーさんの受け皿を作ることなんです。
 純粋に個人でお金儲けをしたいだけなら、他の業種のほうがいいでしょうけれど……。

──そのような理由があったんですね。

渋谷氏:
 私は今のところ、自分が生きていくのに必要なお金が稼げればいいと思っているので、これでもいいかなと。

──渋谷さんは「オスロー」でも店長を経験されたことがあるそうですが、同じ店長でも今の感覚は全然違いますか?

渋谷氏:
 雇われ店長のときとは責任感の質も重みも段違いですね。日々の売り上げに目を光らせるのは同じですけれど、お金を集めてオープンしたこと、そしてそのお店を今後も続けていくことに対する責任感がまったく違うんですよ。
 売り上げが自分の生活にも直結しますし。

──事業を継続していく責任、ですね。

渋谷氏:
 手元の資金の関係で、クラウドファンディングのバッカーさんにまだお返しができていないこともあって、プレッシャーも大きいです。

──いずれお返しできる目途が立っているんですよね? でしたら、必要以上に負い目を感じる必要はないかと。

渋谷氏:
 そうなんですが、私はけっこう心が弱いので(笑)。お店の場所が決まるまでは、厳しいご意見もいただきましたし。

──クラウドファンディングの資金を持ち逃げするとでも思われたのかしら。

渋谷氏:
 そうかもしれません。でも、持ち逃げなんてしなかったからこそ、このお店をオープンできたわけですけれど(笑)。

■勤めていたゲームセンターが閉まるとき、自身で経営することを決めた

──以前お勤めだった「オスロー」は、いつ頃から働いていたのでしょうか?

渋谷氏:
 大学3年生のときにアルバイトで始めてからです。その後大学を中退してアルバイトから契約社員になり、店長になったのを機に社員になりました。
 なので、アルバイト時代も含めると、合計で15年くらいは働いていましたね。

──「オスロー」は1969年に設立された会社で、バッティングセンターと複数のゲームセンターを営業していました。ゲームセンターだけでも30年以上は続いていたんじゃないですか?

渋谷氏:
 そのぐらいは続いていたと思います。最盛期にはゲームセンターが1~3号店と5号店の、計4店舗ありました。

──そもそもゲームセンターで働こうと思ったきっかけは?

渋谷氏:
 最初はゲームセンターで働くつもりはなかったんですけどね。当時の「オスロー」は毎週金曜日にさまざまなゲームのイベントを開催していて、私は客としてそのイベントによく参加したり、運営を手伝ったりしていたんです。
 ある日、イベントを主催していた人が辞めてしまって、困った店長から「アルバイトとしてイベントの開催をしてみない?」と誘われたのがきっかけですね。

──意外なところから白羽の矢が立ったと。

渋谷氏:
 最初の頃は週1日ペースでアルバイトをする程度でしたけれども。

──最後にお勤めだった「5号店」は2017年8月31日に閉店してしまいましたが、かつてはイベントを積極的に開催していて、“音ゲーのメッカ”と呼ばれていたとか。

渋谷氏:
 当時私が店の「イベント担当」でしたが、音ゲーも含めて活気はあったと思います。

 駅前で立地も良かったですし、お客さんには濃いゲーマーが多かったんですよ。1階が音ゲー、2階がその他のビデオゲームという構成でした。
 「5号店」があった場所の近くには「クラブセガ」さんがあるのですが、「5号店」には古いゲームも多かったためか、ラインナップがカブらなかったのも良かったのでしょう。

──店員さんもゲーマーが多かったのですか?

渋谷氏:
 私も含めてゲーマーだらけでしたね(笑)。同じゲーム好きだからこそ少しでも良い環境でゲームを遊んでほしくて、満足していただけるよう努力しました。

 そういう点では、「オスロー」はお客さんと店員の距離が近かったと思います。お客さんに寄り添って、「一緒にゲームセンターを作っている」という実感がありました。

──ご自身でゲームセンターを経営しようと思ったのは、「オスロー5号店」の閉店が決まってすぐですか?

渋谷氏:
 「5号店」の店長から、最初に「閉店する」と聞いたときに、すぐ決断しました。ただ、「やる!」とは決めていたのですが、明確な時期までは決めていなかったんです。

──「5号店」は、立川にあった「オスロー」の最後のゲームセンターだったわけですが、バッティングセンターのほうに移るとか、他のゲームセンターに転職することは考えなかったのでしょうか?

渋谷氏:
 それは考えませんでした。詳細は言えませんが、同じ系列のお店では働きづらい。それに、よそのゲームセンターに転職したとしても、私たちがやってきたお客さんに寄り添うような運営はできないと思ったんですよ。

──「理想のゲームセンターを作るには、個人でやるしかない」と考えたと。

渋谷氏:
 そうですね。会社の方針が変われば、今までどおりのやり方もできなくなりますから。方針に左右されないよう、脱サラして個人でやるしかないです。

──閉店からクラウドファンディングを始めた2018年の春までは、何をされていたのですか?

渋谷氏:
 「オスロー」にいたときはイベントの開催で土日の休みがほとんどなく、友人と会って呑んだり、じっくり話をしたりすることもなかったんですよ。
 その反動で、友だちと遊ぶことに時間を割いたり、今後のことを考えたりしていました。

──個人営業をされているゲームセンターの店長さんに、相談したりしました?

渋谷氏:
 埼玉県や岡山県などに何人か知り合いがいて、オープン前にそういう方とお話をしたら「個人営業のゲームセンターはやめとけ」と言われました(笑)。
 でも、ゲームセンターで働いていた経験は活かせるし、周りに支えてくれる人がいて、どうしてもやりたいのならやってみればと。みなさん苦労をされているので、説得力がありますよね。

──どんなお店を作ろうと考えていましたか?

渋谷氏:
 お店は私ひとりでやろうと思っていたので、あまり広すぎない場所にしようということですね。アルバイトを雇わないと回せないような広さになると人件費がかかりますし、自分の目が隅々まで届かなくなる恐れもありましたので。

──設置するゲームのラインナップについては?

渋谷氏:
 ここにも並んでいますけれど、ブラウン管を使った筐体でゲームを遊ぶのが好きなこともあって、この筐体に合う、ややレトロなゲームを中心に取り揃えたいと思っていました。
 ジャンルも対戦格闘ゲームを中心にパズルやシューティングなど、ひととおり置きたいなと。

──ここにある『エヌアイン』、『アルカナハート』、『パカパカパッション』、『バトライダー』などは、元常連さん向けのものですか?

渋谷氏:
 そうですね。ここにある26台の筐体は、なるべく「5号店」で人気のあったゲームにして、みんなが再び集まれる場所にしています。
 これらのゲームのなかには、元常連さんの持ち込みで置かせてもらっている基板もあるんですよ。

──では、ゲームの基板はひんぱんに入れ替えながら営業しているとか?

渋谷氏:
 イベントがある日とない日で入れ替えたりしていますね。だから26台しか筐体がなくても、さほど困っていません。といっても基板はまだ30種類ぐらいしかないですけれど。

──元常連のためにオープンしたということで、お店の名前にも何かそれに関連する意味を込めているのでしょうか?

渋谷氏:
 店名は意味よりもまず呼びやすさを重視して、最初は候補になる短い単語を辞書で探していたんです。パラパラとページをめくっていて目が留まったところに「WILL」があって、これなら短くて呼びやすいなと思って決めました。
 そのあと単語の意味をよく考えてみたら「未来」や「意思」に関係がある単語でしたから、そういうところもいいなと。

──「ゲームセンターを未来に残していく」とか「強い意志で開店させた」という渋谷さんの思いを表しているようですね。

渋谷氏:
 そうだとかっこいいのですけれど、そこまでは考えていなかったというか。だから後付けでいろいろ考えられると思います(笑)。
 あと、Twitterで常連さんに「お店の名前を『WILL』にした」と言ったら「懐かしいね」と言う人がいて。何のことかと思ったら立川の昔の駅ビルの名前が「WILL」だったそうで、それも知らなかったんです。
 その駅ビルがあった頃は、まだ東京に来ていませんでしたし。

──たぶん昔の立川を知っている方には刺さる単語かもしれないです。

渋谷氏:
 これも偶然ですけれどね(笑)。

※詳細は下記引用元サイトをご覧下さい。


関連URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00075078-denfami-game