2019/06/25 11:42
芸能界「闇営業」が「闇」と言われる理由
日本をしばらく留守にしている間に、芸能人の「闇営業」が問題になっているようだというので、報道に目を通したのですが、ちょっと違和感を持ちました。
何が違和感といって「芸能事務所を通さずにギャラを受け取ること」を「闇営業」と呼ぶ、という定義が大変に「微妙」です。
そういう行為は、少なくともかつては「直営業」と呼ばれていました。いま報道されている案件が「闇」と言われるのには、別の理由があるように思います。
まあ、私がテレビ番組などを通じて芸能界にいささかなりともタッチしていたのは20世紀のことですので、もう二昔も前でズレているのでしょう・・・。
こう留保したうえで、この「闇営業」という言葉に潜む「二重の闇」について、平易に記してみましょう。
■ 興行ヤクザと芸能事務所
私がテレビ番組「題名のない音楽会」の制作に携わっていたのは1996~99年にかけてのことで、もう現場を離れて丸20年以上が経過しました。
10年ほど前までは、コメンテーターなどで地上波の番組に出ることもありましたが、ここ数年はそういう仕事も来なくなり、今日の業界とは全く違う、過去の話なのでしょう・・・。
その前提で、以下記してみます。本当に過去だとよいと思うのですが・・・。
今日、芸能事務所が担当するような仕事の多くは、昭和中期頃までは「興行ヤクザ」と呼ばれる人々が取り仕切っていいました。これは周知の、まぎれもない事実です。
かつての吉本興業や、亡くなった美空ひばりなどが3代目山口組と近しい関係にあり、昭和30年代には山口組興行部を前身とする企業舎弟「神戸芸能社」が、美空ひばりのほか田畑義夫、三波春夫、里見浩太朗、山城新伍、橋幸夫などのマネジメントを担当していたのは、すでに歴史と言っていい周知の事実です。
テレビやラジオなどのマスメディアが成立するのは20世紀以降のことですが、芸能や興行の歴史はそれよりもずっと古く、旅回りの芸人が興行を打つ「ハレ」の場は、迂遠な日常生活の場(「ハレ」と対照して「ケ」などと呼ばれることがあります)とは一線を画す「異界」でした。
ちょうどお祭りの屋台、縁日と同様、それを取り仕切る人々が存在していました。
縁日が「テキヤ」と呼ばれる露店営業人たちの寄り合いで、ショバ割などが決定されるのに対して、ご禁制の賭博で「ハレ」の場を盛り立てていたのが「博徒」と呼ばれる人たちです。
博徒とテキヤは「稼業違い」とされ、縄張りが重複しても互いに干渉し合わないというのが、歴史的な平和共存の姿であったといわれます。
それに変化が出たのは、第2次世界大戦後の焼け跡、闇市以降の頃からでしょう。
闇市でのシノギには、博徒とテキヤの区別などありません。
いつしか「縄張り」の考え方は変化し、かつて「テキヤ」だった人たちも「博徒」だった人たちも、そのいずれでもない20世紀後半型の「ヤクザ」となり、さらには「暴力団」に変質します。
元来の「露天商」「賭博開帳」といった稼業以外の「シノギ」でバッティングすることも増えてきた。
例えばネオン街などで普通に耳にするであろう「みかじめ料」の名で広く知られる、風俗営業の用心棒、ないしはトラブル解決、あるいは闇金融、さらにはある種の「興行」・・・。
戦後、様々な形で「経済ヤクザ化」した現代暴力団の変質が、その背景にあると言っていいと思います。
※詳細は下記引用元サイトをご覧下さい。
関連URL:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190625-00056782-jbpressz-soci