2020/07/03 12:04
知られざる「遊廓」の実態 かつては全国に約3万7000軒「コンビニ密度」に匹敵も
夜の街”などという、コロナ以前には耳にするのも減っていたような言葉が飛び交い、なにやらドキッとさせられる昨今。しかし、かつてこの日本には、“接待を伴う”どころか、公然と売春をいとなむ街があった。よく知られているように、それらは俗に「遊廓」と呼ばれ、昭和33(1958)年4月に施行の「売春防止法」によって消滅するまで、全国に数多く存在していたのだ。
「売春防止法が施行される以前、娼家は全国に約3万7000軒あったといわれ、これは当時の人口10万人あたり約41軒に相当します」
そう語るのは、「遊廓文化」に魅了され、5年前には遊廓専門の出版社「カストリ出版」を創業、東京の吉原遊廓跡に「カストリ書房」を構える渡辺豪さんだ。
娼家とは、いわゆる娼婦を置いて客をとった家のこと。
「この数字は現代のコンビニ密度44軒(令和元年時点)に近く、いわば“コンビニ感覚”で街に遍在していたのです」
それだけの数の「遊廓」が実際にあったということに驚く。じつは意外にも、身近なところに「存在していた」ことを知らない人が多いのではないだろうか。
北海道から沖縄までカメラに収めた遊廓跡は約500箇所に及ぶ
それも当然な面がある。60年余の時を経て、かつての娼家の多くはすでに取り壊されて失われ、同時代を生きた人の多くも亡くなってしまっているからだ。
「当時の記録や記憶は近年、急速に失われようとしています」
今ならまだ記録を残すことができるのではないか――残したい、と強く思った渡辺さんは、北海道から沖縄まで各地に残る遊廓跡を取材撮影してきた。2010年頃から10年にわたってカメラに収めた遊廓跡は約500箇所に及ぶ。
もちろん、すべて現在は遊廓として機能していない建物ばかり。撮影に際して渡辺さんが熱意をもって後世に残す意味を語ると、賛同してくれる所有者も多かったという。
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